沿革

大丸  松坂屋

大丸の歴史

1717年 (享保2年) 下村彦右衛門正啓が京都伏見の呉服屋「大文字屋」を開業。(大丸創業)
1726年 (享保11年) 大阪心斎橋筋に大阪店「松屋」を開き、現金正札販売を始める。(心斎橋店現在地)
1728年 (享保13年) 名古屋本町4丁目に名古屋店を開き、初めて「大丸屋」を称する。(明治43年閉鎖)
1736年 (元文元年) 「先義後利」の店是を全店に布告。京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。
1743年 (寛保3年) 江戸大伝馬町3丁目に江戸店開業。(明治43年閉鎖)
1757年 (宝暦7年) 江戸深川木場4丁目繁栄橋畔に木場別荘を作り、一郭に繁栄稲荷を祀る。(コアビルに現存)
江戸店が呉服商として売上日本一に。
1837年 (天保8年) 大塩の乱起こる。「大丸は義商なり、犯すなかれ」と、焼き討ちを免れる。
1907年 (明治40年) 資本金50万円で「株式合資会社大丸呉服店」を設立。
1908年 (明治41年) 神戸元町4丁目に神戸出張所を新築開店。
1912年 (明治45年) 京都店が四条通りに鉄筋木造3階建の新店舗開店(現在地)。デパート形式をとる。
1913年 (大正2年) 商標を改め登録。
1920年 (大正9年) 資本金1,200万円で「株式会社大丸呉服店」設立。
1922年 (大正11年) デパート業界で初めての週休制を実施。
1927年 (昭和2年) 大阪店(現心斎橋店)にデパート業界初の「染色試験室・衛星試験室」(現消費科学研究所)を開設。
1928年 (昭和3年) 商号を「株式会社大丸」に改める。
1953年 (昭和28年) クリスチャン・ディオールと独占契約を結ぶ。
海外デザイナーとの提携は日本で初めて。
1959年 (昭和34年) オリジナル紳士服「トロージャン」誕生。
1961年 (昭和36年) 日本の小売業界売上NO.1を達成。(1960年下期から1968年下期まで連続。)
1964年 (昭和39年) ジバンシーと独占契約を結ぶ。
1983年 (昭和58年) 大阪ターミナルビル「アクティ大阪」に梅田店開店。新CI導入。新しいマークを制定。
1997年 (平成9年) 神戸店(1995年阪神・淡路大震災で被災)が復興グランドオープン。
1999年 (平成11年) 経営改革(営業改革・外商改革)を本格スタート。(翌年人事改革・後方部門改革をスタート。)
2003年 (平成15年) 札幌店オープン。
2007年 (平成19年) 株式会社松坂屋HDと経営統合。持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。
2009年 (平成21年) 心斎橋店北館オープン。
2010年 (平成22年) 株式会社松坂屋と合併し、「大丸松坂屋百貨店」誕生。
2011年 (平成23年) 梅田店増床オープン。

創業

1717年 (享保2年)、下村彦右衛門正啓が、19歳の時に古着商「大文字屋」を屋号にした小さな店を京都の伏見に開いたのを創業としています。その後、1726年 (享保11年)に心斎橋へ出店。そして1728年 (享保13年)には名古屋へ出店、1743年 (寛保3年)に、“念願の江戸への進出”を果たします。

創業者・下村彦右衛門正啓

幼い頃から利口で、何をさせても優れていました。僅か30年ほどの間に京都・大阪・江戸・名古屋に大店を構えて、豪商になったこと、背が低く、頭が大きく、耳たぶが垂れ下がっていて福々しかったので、福助人形のモデルという説もあります。

経営理念「先義後利」
(義を先にして利を後にする者は栄える)

先義後利とは、顧客第一主義に徹すれば、利益は自ずからついてくるという考え方。「義」とは商売における正しい道」「公共のために尽くす気持ち」を意味し、顧客満足を目指した経営を徹底して行いました。

江戸進出と大きな風呂敷

当時、大伝馬町の南側の裏通りを「大丸新道」と呼びました。開店にあたり、萌黄色(黄緑色)に大丸のしるしを染め抜いた派手な風呂敷を大量につくり、江戸に京呉服を送り込む時に商品を包みました。そのため、開店告知に大きな効果を発揮しました。 大消費地に出店した江戸店は大成功をおさめ、日本屈指の大店として発展を続けます。

商標の大丸マーク

マークは創業時から使用しています。「大という字は、一と人を合わせたもので、丸は宇宙・天下を示す」ことから、天下第一の商人であれという業祖正啓の志と決意が込められたものと伝えられています。大丸マークは1913年 (大正2年)に、縁起のよい七五三の髭文字を商標登録しました。

エピソード「大塩平八郎の乱」

大塩平八郎は、1837年 (天保8年)奉行に訴えを起こし、子弟数人と蜂起しました。このとき富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあい、主人や幹部が殺傷されました。大丸は、徳義を重んじる家風がよく知られており「大丸は義商なり、犯すなかれ」と部下に命じ、焼き討ちを免れたと伝えられています。

海外デザイナーと初めての提携

1953年 (昭和28年)10月クリスチャン・ディオールと独占契約し、ファッションショーを大阪、京都、神戸で開催しました。海外デザイナーとの提携は日本初でした。

東京店開店

1954年 (昭和29年)10月、東京駅八重洲口の駅ビルに東京店を開店しました。1910(明治43年)の江戸店閉鎖以来44年ぶりの東京進出です。同時に日本初のパートタイマー制を導入しました。営業初日には20万人が来店、売上も予想以上の華々しいスタートを切りました。

売上高が百貨店一に

戦後の経済復興とともに大丸は業容を次第に拡大。東京店開店をバネに飛躍的な発展を遂げました。1960(昭和35年)年下期には売上高日本一を達成。以来8年半にわたり連続して王座につき名実ともに日本を代表する百貨店になりました。

創業250年

1967(昭和42年)年、大丸は創業250年を迎え、数々の記念行事を盛大に行いました。5月、大阪と東京で「従業員祝賀会」を開催。また翌年4月には、記念行事の一環として総合研究施設「高槻研修所」を竣工、開所しました。

新しい都市型百貨店誕生

1983年 (昭和58年)4月梅田店をオープン。「エキサイティングで趣味のよい店」というストアイメージの創造を目指し、ライフスタイルMDを推進。12階には「大丸ミュージアム」も開設しました。地下2階から地上14階という世界でも珍しい多層階の百貨店として話題となりました。

神戸店被災そして復興

1995年1月阪神・淡路大震災に見舞われ、神戸店を中心に未曾有の大被害を受けました。従業員の懸命の努力により、神戸店は同年4月、震災前の3分の1の売場面積で営業を再開。1997年3月、次代のモデルともいうべき新しい店作りで全体復興を成し遂げました。

経営改革をスタート

平成不況、異業種間の競合の激化、百貨店の高コスト体質などにより危機に陥り、1997年から事業の再編・整理などに着手。翌年には「最大のお客様満足を最小のコストで実現する」ことを目指して営業改革、外商改革、後方部門改革、人事改革の4つの改革をスタートさせました。この改革の進行とともに収益体質は飛躍的に向上しました。

経営改革の集大成札幌店がオープン

03年3月札幌店がオープンしました。これにより大丸は全国主要都市をつなぐ計16店舗のネットワークを構築することになりました。札幌店は経営諸改革の成果を集結して構築した百貨店ビジネスモデルが大きな成果を発揮し、開業半年で営業黒字化を達成するという快挙を成し遂げました。

「新百貨店モデル」のスタート台、心斎橋店北館オープン

09年11月、心斎橋店北館がオープンしました。「お客様がわざわざ足を運びたくなるような、魅力的で収益性の高い店舗づくり(=新百貨店モデル)」のモデル店舗として、新しい顧客層の拡大、少人数体制による高効率運営を実現。特に、地下1,2階(通称うふふガールズ)は、従来の百貨店にはないブランド構成、販売スタイルで、若い女性の支持を集めています。

松坂屋の歴史

1611年 (慶長16年) 名古屋本町に呉服小間物問屋を創業。
1659年 (万治2年) 名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を開業。
1736年 (元文元年) 呉服太物小売商に転業。
1740年 (元文5年) 尾張藩の呉服御用となる。
1745年 (延亨2年) 京都室町錦小路に仕入店を開設。
1768年 (明和5年) 上野の松坂屋を買収、「いとう松坂屋」と改め、江戸へ進出。
1805年 (文化2年) 江戸大伝馬町に木綿問屋亀店を開業。
1868年 (慶応4年) 上野店、上野戦争で官軍の本営となる。
1875年 (明治8年) ゑびす屋呉服店を買収、大阪へ進出。
1881年 (明治14年) 名古屋茶屋町角に伊藤銀行(旧東海銀行のルーツ)を開業。
1907年 (明治40年) 上野店を「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改組。
1910年 (明治43年) 「株式会社いとう呉服店」を設立(資本金50万円)。名古屋・栄町に百貨店を開業。
1917年 (大正6年) 上野店新本館完成。
1923年 (大正12年) 大阪店(日本橋筋)再開。(66年天満橋に移転、04年閉店)
1924年 (大正13年) 銀座店開店。
1957年 (昭和32年) カトレヤをシンボルフラワーに制定。
1972年 (昭和47年) 名古屋店北館を増築。
1991年 (平成3年) 名古屋店南館を増築し、「松坂屋美術館」を開設。
2003年 (平成15年) 名古屋店新南館増築で日本最大級の百貨店に。
2006年 (平成18年) 持株会社「株式会社松坂屋ホールディングス」を設立。
2007年 (平成19年) 株式会社大丸と経営統合。持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。
2010年 (平成22年) 株式会社大丸と合併し、「株式会社大丸松坂屋百貨店」誕生。
2011年 (平成23年) 松坂屋コレクション「慶長小袖」が重要文化財の指定を受ける。

創業

織田信長の小姓であった伊藤蘭丸祐道が、本能寺の変の後、武士を捨て商人になったのが、松坂屋の前身・いとう呉服店の始まりです。

京店(きょうだな)と祇園祭

順調に商いを伸ばし、1745年(延亨2年)、高級呉服の本場・京都に仕入店を開設しました。地域との結びつきも強く、1833年(天保4年)、祇園祭のシンボルである山鉾「北観音山」の復興に一役買いました。

江戸へ進出

最大の消費地である江戸へ進出したのは、1768年(明和5年)のことです。寛永寺や尾張徳川家、加賀前田家の御用を承る大店として知られ、広重の錦絵にも描かれました。「東都名所上野広小路之図」は天保年間(1830年頃)のものですが、現在の上野店も同じ場所に建っています。
1885年(安政2年)の安政の大地震では、「江戸商人第一の損失」といわれるほど多大な損害を出しましたが、直ちに再建しました。

西郷隆盛と土方歳三

元号が慶応から明治に変わる1868年、彰義隊と官軍による上野戦争が起こりました。このとき、大村益次郎率いる官軍の本営になったのが上野店です。 戦争の翌日、維新の大立て者西郷隆盛が上野店に立ち寄りました。 幕末のもう一人の大スター・新選組の土方歳三は、これより20年ほど前に、上野店で丁稚奉公をしていました。

陳列販売

1907年(明治40年)、上野店は、江戸時代から続いた座売りを陳列式建売りに改め、呉服に加え、雑貨、家庭用品なども扱い始めました。ショーウインドーを巡らし、女性社員を初めて採用したものこの年です。
秋には、「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改めました。この頃から百貨店誕生への助走が始まっていたのです。

百貨店開業

1910(明治43)年2月、株式会社いとう呉服店を創立。同年3月栄町に進出し、名古屋初の百貨店を開業しました。
屋上にドームをもつ3階建てルネサンス風の洋館は、ホール・食堂などの最新設備、斬新な品揃えとともに、「行灯より電灯に代わりし以上の進歩」と人々を驚嘆させました。

土足入場

関東大震災の翌年1924(大正13)年に、銀座初の百貨店としてオープンしたのが銀座店です。このとき大型店舗初の土足入場に踏み切りました。(それまでは下足番が履物を預かっていました)。以後、百貨店の大衆化が本格化していきます。

エレベーターガール

1929(昭和4)年に新築開店した上野店は、最新のエレベーターが10基も備わっていました。このとき登場したのが、わが国初のエレベーターガールです。
当時の新聞は、「昇降機ガールが日本にも出来た」「婦人職業の新進出」と、興奮気味に報じています。

名店街

今ではお馴染みのデパ地下(名店街)ですが、1936(昭和11)年、それを初めて導入したのが名古屋店です。名古屋店は、翌年には面積倍増の大拡張工事が完成し、中部地方随一の大型百貨店になりました。

シンボルフラワー

シンボルフラワーにカトレヤを制定したのは1957(昭和32)年のこと。
以後、半世紀にわたって包装紙などに用いられています。

リビンザ誕生

1972(昭和47)年、名古屋店北館が増築され、当時としては先進的な「住」をテーマにした館「リビンザ」が誕生しました。06年に全館改装され、現在も、豊かで創造的な暮らしを提案しつづけています。

松坂屋美術館

名古屋店には、百貨店の施設としては珍しい本格的な美術館があります。1991年南館新築時に開館した松坂屋美術館は、国内外の様々な美術作品を展示し、多くのお客様から好評をいただいています。

名古屋店の売場面積最大級に

03年、名古屋店が増築し、売場面積は日本最大級の8万6758㎡(ハローナゴヤ)に。このときにオープンした美と健康・リラクゼーションフロア「シスセット」は、クオリティの高さ、きめ細やかなサービス、ゆとりのある雰囲気で、オープン以来、多くの女性に支持されています。